独りシェアルーム

きっとあなたの蜜になる

20.この先

 

あなたはどうしたいの?

 

今まで何度も聞かれた言葉。

 

それが最初からわかってるなら、

 

あなたのことなんか頼ってない。

 

 

 

今まで大体1日1記事、1000文字程度を目安に書いてきてた。

それが今、全然書くことが浮かばない。

 

熱のせいもあるんだろうけど、頭がうごかない。

 

もし書きたいことができたら

また書きにこよう。

19.

 

 

何年かぶりのまともなカウンセリング。

 

わたしは今まで自分から進んでカウンセリングに行こうと思ったことがない。
大抵、親か担任かその当時の恋人が病院に行けだのカウンセリング受けろだのと言う。
根気負けしたり無理矢理連れて行かれたり、そんなパターンばかりだった。

 

まあ、今回もそうなんだけど。

 

見ず知らずの人と長時間接しなければならない。

それだけでも結構な緊張感だし、ましてや自分の身の上話をしなければいけない。

わたしはカウンセラーさんのことを知らないけど、

カウンセラーさんはわたしのことを知ってる。

歪だった。

 

 

なんだろう、治療を始めたら書ける内容も変わるのかなって思ってたけど、

何も思わない。

頭の中に小さな穴がいくつも空いて、

その隙間を濃い霧が埋めてるような感じ。

 

ちゃんと考えなきゃなって思うのに

なにを思って感じたのかわからなきゃいけないのに

だめな気がする、きもち悪い

18.プリン

 

 

いつもド深夜に前日のことを投稿してるから、

見返してみると微妙にズレがあるように感じる。

変な感じ。

 

今日はあえて、ごくごく普通な日記を書こうと思う。

平和な春休みの記録はここまでだろうから。

 

昨日1日を振り返るなら、本当にただただ普通に楽しい1日だった。

わたしのことを1番だと言ってくれる相手と、時間も気にせず会える機会。

気も大して使わない、遠慮もしない、それぞれが好きなように好きなことをする。

楽しめることは共有するし、お互い我慢も強要もしない。

人付き合いがお世辞にも上手くないわたしの、数少ない大切な人。

 

特に用がなくても連絡が取れる。

特別な理由がなくても会いに行ける。

隠し事らしい隠し事をした覚えもない。

そんな相手が今までの20年でどれくらいいたかな、って思い返してみた。

 

中学の時に2人、多めに見積もって5人。

高校の時に5人、多くて8人。

大学では3〜4人かな、交友関係狭いから。

人間関係を広く浅く保てる人は、本当に凄いと思う。

 

話が逸れた。

丸一日出掛けるとバテることをわかってか、

集合は夕方だった。

予定もあまり詳しくは決めず、行き当たりばったりに楽しむ。

したいこと、行きたい所、食べたい物。

大して意思のないわたしを、全てがはっきりしたあの人は引っ張ってくれる。

本当にただただありがたかった。

 

宿代とバレンタインを兼ねて、

あの人が気に入ってくれた手作りプリンを渡した。

大切な人が笑って喜んでくれて、純粋に嬉しかった。

ひどく久し振りな気がした。

 

幸せだったなぁと思いながら、

いつもと違う部屋でこれを書いた。

また今日みたいな日を迎えられるように、

お互い大切だと思える相手と笑えるように、

楽しかった昨日を忘れないように、

今日からまた頑張ろう。

 

 

17.明日

 

 

なんでもしてあげるから言うこと聞いて。

 

小学生かよ、とふと思った。

小学生に失礼かもしれないけど、

20歳迎えた娘に言う言葉じゃないなぁ、と。

目の前に人参ぶら下げられなきゃ走れない馬みたい。

 

明日から少しずつ、変わっていかなければならない。

わたしが今抱えている障害を抱えたまま生き続けるのは難しいらしい。

 

個人的には、わたし自身そこまでの障害だとは思っていなかった。

誰しも大なり小なり人生に波があって、わたしの症状もその1つだと。

みんな上手く隠しているだけで、似たような障害は抱えていると。

母親も度々そう言っていたから、余計に。

 

確かに日常生活の中に違和感はあった。

買った覚えのない物がやたらとあったり、

いつの間にか友人との縁が切れていたり、

言われた覚えは一切ないのに前にも言ったでしょと親に怒られたり、

気がつくと全然知らない場所にいたり。

 

人間の適応能力とは凄まじいもので、これが当たり前になってしまえばある程度受け入れられた。

「あぁまたか」くらいにしか、わたしは感じていなかったのだ。

治療なんて大袈裟なものが必要だなんて、思いもしなかった。

 

中高時代に出逢ったカウンセラーや精神科医は、表面上の症状を抑えさせることにしか興味がなかった。

摂食障害の診断が下った当時の担当医は、とりあえず物を食べられるようになればいいと思っていた。

不眠傾向が出た時はその原因を探らず、睡眠薬を処方した。

腕を切ることが問題なら、カッターを取り上げればいいと思っていた。

 

大学で心理学を勉強して、それらの対処がいかに間違っていたのかはよく解った。

そんなカウンセラーや専門家ばかりではないのもわかっているつもりだった。

それでもやっぱり、あんな奴らに頼りたくはないと思ってしまっている。

一種の嫌悪的条件付けなのかもしれない。

 

見ず知らずの人物に、自分の境遇や感情を伝えなければならない。

正直、見知った人に対してもしたくない。

誰も見やしないこういった場でならまだしもね。

1対1の、対面コミュニケーションで。

なんて高いハードル飛ばせようとしてんだと。

 

どんだけ文句垂れたところで、治療を進めなきゃいけないのには変わりない。

始まるからにはおとなしく受け入れよう。

 

それはそれで置いておいて。

わたしは母親のことが苦手なのかもしれない、と気付いてから

母の一挙一動が目に留まるようになった。

彼女の物言いや立ち振る舞い、

あらゆるものが気になった。

 

腫れ物を扱うような、どう接したらいいのかわからないとでも言いたそうな

自分よりも劣悪な生き物を見ているような

そんなぎこちない接し方。

わたしがそう捉えてしまっているだけかもしれないけど。

 

なんか、案外わたしがいなくても平気そう。

肉体さえ生きてれば、わたしじゃなくてもいいのかな。

 

大好きなのに。

大切だったはずなのに。

下手くそだなぁ生きるの。

 

明日なんか来なければいいのに。

16.ドーナツホール

 

 

正直読んでる人には伝わらないであろう内容を書く。

頭のおかしいキチガイだと思ってもらっても構わない。

アウトプットが苦手なわたしにとって、ここでの独り言くらいでしか吐き出さないのだ。

 

親でも兄弟でも友達でもない、今までわたしのことをたくさん考えてくれた人たちがいる。

迷惑もかけたしかけられた、頼りにしたし頼られた。

相補的で比較的対等な、大切な存在だと思う。

少なくともわたしはそう思ってる。

 

この春休みの治療がきっかけで、

その大切な人達との関係性が変わってしまうかもしれない。

もうその人達と2度と会えなくなるかもしれない。

ふとその可能性について考えてしまって、怖くなってしまった。

 

治療をしない限りその人達に迷惑をかけ続ける。

それはしたくないなと思うから、治療しようと重い腰を上げたのが今年。

治療をしたらその人達が居なくなってしまうかもしれない。

それを寂しいと思ってしまって、治療するのが良いのかわからなくなったのが最近。

 

良いのか悪いのかに関係なく、もう治療は始まるんだろうけど。

治療することを決めたのもわたしじゃない。

両親と主治医と、わたしの大切な人達。

わたしはただそれに従っているだけな感覚。

 

恩返しってどうしたらいいのかな。

彼らとの時間を大切にする以外に、わたしにできることはあるのかな。

居なくなってしまうかもしれないと気付けたんだから、後悔しないようにしないと。

 

でもやっぱりわたしは、その人達にいなくなって欲しくはない。

その人達がわたしの傍にいたくないと言うまでは一緒にいたい。

わたしもその人達も一緒にいたいと思っているのに、

無理に離れなきゃいけないのかな。

 

それとも今わたしがその人達を必要としてるのも症状の1つで

治療が進めば傍にいたいとも思わなくなるのかな。

治療が進めばその人達も、わたしから離れたいと思うようになるのかな。

わからない。

 

治療も、その人達との関係性も、どうなるのかわからない。

どうするのがいいのかもわからない。

あの人達がどう思ってるのかも。

わたしがどうしたいのかすらも。

 

失った感情ばっか数えていたら
あなたがくれた声もいつか忘れてしまった
バイバイもう永遠に会えないね
何故かそんな気がするんだ、そう思えてしまったんだ


涙が出るんだ、どうしようもないまんま

15.母親

 

 

小さい頃からわたしも兄も、母の事を物語の主人公みたいだと思っていた。

言う事為す事全てが教科書に書かれたお手本のようで

母の言う事を全て受け入れて生きられたらさぞ素晴らしい人物になれると思っていた。

文面通りの意味ではなく、どちらかといえば

 

「そんな綺麗事ばっか並べた生き方、出来るわけねーだろ」

 

これくらい、反抗心に満ちた意味合いで。

 

 

感情的になにかを言われた覚えはない。

理屈っぽく頑固で、自分の考えに沿わないことは絶対に受け入れなかった。

だから母とのジェネレーションギャップには何年も苦しめられた。

なにぶん頭の回転が早くて賢いから母の説得は大抵、時間と労力の無駄と化した記憶が色濃く残ってる。

 

わたしにとって母親という存在は、

「倒すことすら諦めざるを得なかった相手」

だった。

ゲームで例えるなら負けイベントみたいなもので、システム上いつまでも超えられない壁。

どれだけ殴っても、斬りつけても、爆弾を投げても死なない不死身のような人だった。

 

それでも母親はわたしのことも兄のことも愛していたし、

彼女には彼女なりの考えがあって、自分の信念を曲げなかったのだとわかっていた。

母の信念の基になっていたのは、

「わたしたちが幸せになれるかどうか」。

子供の目から見た短期的な幸せではなくて、

何年、何十年後に後悔しない方を選択させたいということだったらしい。

 

わたしも、多分兄も母のことは好きだったと思う。

でも今になって思えば、好きか得意かは別だったのだろうな。

大切な存在ではあるし恩もある。

でも苦手なんだ。

 

苦手だということを自覚したのもつい最近、というかこのブログに独白を書き始めてからだった。

「一人暮らしをしたい」というわたしの唯一の願いは、

この苦手意識から来たものだったのかなぁと改めて思う。

 

意見が食い違って説得をしようとする時の、母親の長い独り語りが苦手だった。

全て自分の物差しで測って、自己の体験に投影しようとする姿勢が嫌だった。

自分の思い通りにならないときに、吐き捨てる憐れみと諦めの言葉が耳障りだった。

心の中では怒り狂っていても、にこやかな表情で人と接する母の笑顔が怖かった。

 

それでも、「親子」だからこれが当たり前だと思っていた。

ぶつかり合うのが当然だと思っていた。

でもなにか違うのかもしれないと気付いたのは、

この関係を始めてから20年目の冬だった。

14.執着心

 

 

「アクティブに死のうとしてるよね。」

母親直々に言われた言葉だった。

「生きることにこだわらないというか、

むしろ死にそうになったらラッキーくらいに思ってない?」

って。

 

うん、いや言いたいことはわかる。

確かにその言葉否定できないけど、

そう思うのは自由だけどさ

 

言うべきこと

言わなくていいこと

言わない方がいいこと

 

それぞれあるよね?

多分これは少なくとも、言わない方がいいことだったと思うよ。

 

長生きした方がいいっていう固定概念、
あれなんなんだろうね?いいじゃん早死に。
まだ若いのに、って惜しまれたりするけど、
若い以外に惜しむ理由ないなら死んだっていいんじゃない?

 

 

 

なんでこんな話になったかって言うと

前に母親に言われた、「なんでもしてあげる」宣言。

その交渉をしようと思って話してたんだ。

 

しばらく考えて考えて考えて、

わたしが唯一思いついた頼み事は

「一人暮らしをさせて欲しい」

だった。

 

正直、半分以上は却下されると思っていた。

駄目元で言ってみたくらいの気持ちだった。

でも、前向きに考えてくれるらしい。

わたしが治療から逃げさえしなければ。

 

なんで一人暮らしがしたいの?

一人暮らしのなにが楽しそうだと思ったの?

と母親に聞かれた時、わたしは何も答えられなかった。

両親が嫌いで家を出たい、というわけではない。

登校時間を短縮したい、というのも嘘ではないけど理由じゃない。

 

わからない、と吐き捨てたわたしに母親が言ったのは

 

「死にやすい環境を作ろうとしてるようにも見えて、そこが少し心配かな。

 

家事は問題ないだろうけど、あなたは生きることへの執着がないから。

 

死にたがりとは違うけど、嫌々仕方なく生きてるよね。

 

死ねるチャンスがあれば死にたいと思ってるよね?」

 

母親のその言葉を聞いてから

何故かそれ以上話す気が失せてしまった。

 

とりあえず考えといて、と

それだけ伝えて立ち去った。

 

図星を突かれて腹を立てるほど子供ではないと思っているけど、

そうじゃないならあの時感じた、不快感はなんだったんだろう。