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独りシェアルーム

きっとあなたの蜜になる

28.書きたいことが見つからない

 

タイトル通り。

 

今までの人生で楽しかったことを思い出してみようと思う。

しんどかったことや辛かったことにばかり焦点を向けるのはよろしくない。

 

幼稚園の頃。

マンション住まいで兄がいた関係か、必ずどのクラスにも友達がいた。

毎日誰かの家に行くか自分の家に友達がやってきて遊んでいた。

先生に怒られた覚えは一度もない。

 

当時のわたしなりに、クラスメイトにからかわれたりして辛かったのは覚えているけど、

今思えば人生で1番楽しい時期だったかもしれない。

 

小学校の頃。

2年生までいた学校では、幼稚園からそのままエスカレーター式で進学したから友達も多かった。

成績で不自由をしたことはなかったし、音楽会では必ず打楽器を担当させてもらった。

よく本読みを褒められたし、鍵盤ハーモニカの演奏ではお手本にされたことも多かった。

花一匁では取り合いになったし、放課後には誰かと遊ぶ約束があった。

 

3年生の時に転校をした。

誰もわたしを知らないし、わたしもクラスメイトを誰1人知らない。

出来上がった人間関係の輪に、飛び込んで行くのは初めての経験だった。

それでもなんとか溶け込んで、毎年学級委員長を務めた。

活発に遊んだりはしなかったけど、陸上の朝練に一緒に行ける友達もできた。

推薦されて立候補した児童会では挨拶を褒められたし、卒業式でのサプライズ企画をとても喜んでもらえたのが印象的だった。

 

クラスメイトとのいざこざがなかったわけではないけど、いい人生経験だったと思う。

 

中学校の頃。

ヘンテコなシステムの受験をして、倍率8倍を潜り抜けた。

正直曲者ばかりだったけど、趣味の合う友達ができた。

片道2時間の通学も苦じゃないくらい、会うのが楽しみな親友がいた。

アートフェスティバルでは有志発表で、放課後遅くまで練習をしたよさこい踊りを披露した。

かっこよかったと言ってもらえて嬉しかったっけな。

 

高校生の頃。

生まれて初めて部活に入って、先輩や後輩と親密な関係を築けた。

放送部ではラジオドラマで配役をもらったし、BGM作成もさせてもらった。

運動会でのアナウンスもやりがいがあって楽しかった。

卓球部では弱小なりに、課題を見つけて練習を積むのが楽しかった。

部室に行けば気兼ねのない仲間がいるのが嬉しかった。

自分のことを好きだと言ってくれる人とも出会えた。

 

そして生徒会。

半強制で入らされたけど、想像以上にやりがいがあった。

得意なエクセルの技術やプログラミングを活かせたし、仕事の速さを評価されて嬉しかった。

先生方や後輩からもらった寄せ書きは、今でも宝物だと胸を張れる。

 

なんだ、案外恵まれた人生送ってたんじゃないか。

そんな風に今は思える。

多分書き連ねたこの言葉が、ごく一部の事実しか語っていないから。

幸せってきっと案外そんなもの。

 

でも今日はもう疲れた。

27.ドミノ倒シ

 

気が付いたら日が暮れてた。

朝起きた覚えも昼間に何をしていたかもわからなかった。

最近は少しだけ頻度が減ったけど、

疲れが溜まったりすると昔はよくあった。

 

メールやLINEの送信履歴。

Twitterに書かれたつぶやき。

財布の中に溜まったレシート。

捕まえた覚えのないポケモン

 

ちょこちょこ見に覚えのないものが手元に残っている。

もうそういうものだと受け入れてしまえば簡単だった。

 

 

 

最近よく、ニコニコ動画でボカロPさんの楽曲プレイリスト巡りをしている。

大抵40mPさんかハチさん、たまにHoneyWorksさんあたり。

先日偶然聞いてみようと思ったのが、すこっぷさんだった。

 

はじめてすこっぷさんを聞いたのは中学生の時。

確かマリオネットシンドロームからすこっぷさんを知って、その次にハマったのがインターネットシティ。

高校に入ってから聞いたのがケッペキショウ。

独特の歌詞と哀愁に満ちたメロディーが厨二心をくすぐった。

 

その覚えがあったからか、なんとなくまた聴きたくなった。

片っ端から聴き漁って、わたしの耳に残った曲がいくつかあった。

そのうちの1つがドミノ倒シ。

 

 

綺麗に並べるのには 時間がかかったでしょう
壊してしまうのは簡単よ 人の関係なんて

 

愛想笑いで隠して 耐えてきた心も
音を立てて崩れていくの ドミノ倒しみたいに

 

 

それまでに積み重ねて並べてきた信頼関係なんて、脆くて簡単に壊れてしまうもの。

また積み上げるのも並べ直すのも、労力と時間が多くかかるもの。

 

道徳の教科書に載っていそうな当たり前を、こんな風に曲に出来るんだなと息を飲んだ。

どこかトゲがあって飲み込むのが難しいかったけど、なぜか何度も聞きたくなる。

 

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26.理想の死に方

 

 

「お疲れさま、よく頑張ったね」

 

人生が終わる時、最期に聞きたい言葉。

 

老衰や病気や事故じゃなくて、

この言葉を投げかけてくれる大切な人に殺されたい。

 

 

理想の死に方について話していた。

他殺は嫌だとか、老衰の末眠るように逝きたいだとか、家族に見守られながら息を引き取りたいだとか。

 

自分の理想は、自分にとって大切な人に殺されて死ぬこと。

出来れば絞殺がいいなぁとぼんやり考えた。

 

大切な人の手で、力で、意思で、

自分の命が終わる。

そう考えるだけでなんというか、羨望にも似た感情を抱いてしまう。

 

相手が一緒に逝くか逝かないかはどちらでもいい。

一緒に死んでくれるならそれはそれでいい。

残して逝く心配や不安がなくなるから。

そうでなくても全然構わない。

前科という形で付きまとって、一生忘れられないだろうから。

 

頸動脈を成人男性の力で思い切り押さえつければ、多分10分もあれば終わる。

その間だけはどうか、笑って声をかけて欲しい。

 

「お疲れさま、よく頑張ったね」、と。

25.ネガティブ・チェイン

 

わたしが生きてなきゃいけない理由は何なんだろう。

 

高校からメンヘラ拗らせてたわたしに、担任や友達は「とりあえず生きなさい」とよく言った。

母もよく「生きてさえいてくれればそれでいい」と言った。

生きていればなんとかなるから、とよくその前についていたっけ。

 

今まで20年と半年間生きてきて、生きているだけでなんとかなったことなんてないんだけどなぁ。

生き続ける限り次から次へと課題が出てきて、

挑戦し続けなくちゃいけなくて、

自分の弱点や欠けてるところがどんどん出てくる。

むしろ生きてるだけで、これ以上なんともならなくなってきた。

 

カウンセラーさんが言う言葉を信じるなら、

今わたしの身体に表面上出ている症状はほぼ全て

「このままの自分では生きていかないから、なんとか見つけ出した生き抜くための方法」

らしい。

生き抜く方法が社会的に適合しにくいから他の方法を探していこう、というのを治療と呼んでいる。

 

例えばストレス解消のためにカラオケに行く、という例で言うなら

「あなたのストレス発散方法はふさわしくないので、イライラしてもカラオケに行くことを禁止します」

と言われているようなものだ。

 

ストレスを発散するための行動を禁止されると、余計にストレスが溜まる。

ストレスが溜まるけど発散できない。

ストレスが溜まる。

発散できない。

ストレスが…。

 

うまくカラオケ以外のストレス発散方法を見つけられたらそれでいいけど、

見つけられなかった時の

もしくは見つけられない期間の

辛さやイライラや焦燥感は想像してもらえると思う。

テスト期間中とかストレス溜まるのに遊べなくてしんどいもんね。

 

わたしの身体に表れている症状は、そこまで一般的でも普通でもない。

はたから見れば頭のおかしいキチガイかクソメンヘラの厨二病かと思われる。

だから理解されないし、甘えだと言われるし、演技ではと疑われる。

信じてもらおうとも、解ってもらいたいとも最近は思わなくなった。

 

だからこそきっと、「生きてればなんとかなるよ」と言われ続けるんだろうな。

生きていることが簡単で容易くて、息を吸って吐くだけの行為だと思ってるんだろうから。

 

生きるために編み出した方法が望ましくないなら、

生きることを諦めればいいだけじゃないの?

 

そうまでして生きなきゃいけない理由って何なのかな。

わたしがわたしとして生きないといけないのはどうして?

 

 

24.落し物

 

半年前、こんなツイートをした。

 

「20歳の1年はクソザコメンタルをなんとかしつつ、心身ともに健康でありたいです #無謀」

 

よくわかってんじゃねぇか過去の自分。

もう既に無謀だったのがわかってるよ。

 

あんまりにもクソザコだからプロフィールにも書いちゃったよ。

 ⚠︎emotionally unstable⚠︎

直訳で、メンヘラ注意。

忠告はしたからな!って感じ。

 

 

カウンセラーさんも月曜日もなーんにも悪くないんだけど苦手になったなぁ。

カウンセラーさんなんかむしろお金払って行ってるのになぁ、ドブ捨ててんじゃないかなと思う。

 

1時間5500えーん、多分すでにもう10回くらいは行ってるみたいだから55000えーん。

…5万円あれば回らない寿司に家族で何回行けるんだろう…。

高めに見積もっても11回くらい…?

お寿司…。

 

カウンセリングとか治療と関係あるのかないのかもわからないけど、最近寝ても寝ても眠い。

24時間のうち12時間も起きてられない。

起きてる12時間のうち半分くらいは頭が痛い。

時間ごとにアラームを鳴らさないとご飯食べるのを忘れてる。

 

人間としてどうなの?これ。

 

カウンセラーさんと話しててちょこちょこ感じてたけど、

自分みたいな存在って本来、淘汰されて死んでいるべきものなんじゃないかなと思った。

本能らしい本能が睡眠くらいしか生きてない。

結構な欠陥製品じゃん。

 

欠陥製品は欠陥製品らしく、メンテナンスに出されてきた。

そこで気付いたのが

人から望まれたり願われたことは出来ても、

自分自身が何をしたい、という考えがほとんどないこと。

 

何かしたいことはないの?

将来どうなりたいと思うの?

前回も、今回も、カウンセラーさんには聞かれた。

考えておきます、としか、今回も答えられなかった。

 

少しずつでいいから自分のしたいこと、なりたい姿を想像できるように

いろんな世界を見て、頑張って探してみてねとアドバイスを受けた。

 

思い返せば、小学生の時の学級委員や児童会長も高校時代の生徒会役員も

推薦や半強制でなったものだった。

本当に自分の意思でしたかったことなんて一度もなかった。

周りの人が望んでいること、期待していることに応えているだけだった。

それで人の役に立てていると思い込んでいた。

 

それだけでも自分の愚かさが恐ろしいかったけど、

もっと恐ろしいのは、そのことにすら気付けていなかったこと。

 

小さい頃はもう少し主体性があった。

将来なりたい職業だってあった。

幼稚園の頃はアイドルか保育士さんになりたかったし、小学生の頃は学校の先生になりたかった。

やりたいこと、習いたいこと、たくさんあった。

好きだって胸を張れる趣味だってあった。

 

いつの間に、どこに落としてきたんだろう。

23.優しさ

 

優しさってなんなんだろう。

エゴや押し付けと何が違うんだろう。

 

相手のことを思っての行動は優しさなのかな。

受取手にとっては嬉しくなくても受け取らなきゃいけないのかな。

 

試しに、優しさについて調べてみた。
損得感情無しに、見返りを求めず、嫌われることすら厭わない。
お礼を言われなくていいから、相手の幸せだけを願って行うこと、らしい。

あくまで受取手の感じ方はあまり関係ないみたいで驚いた。

 

あなたのために言ってるのよ。

大切だからこんなこと言うのよ。

心配だからこそ言ってるのよ。

 

この言葉たちは優しさに見えるかもしれないけど、

受取手がこの言葉たちを受け取らなかった時に抱く感情が怒りなら、優しさではないと思う。

 

あなたのために言ってるのに。

大切だから言ってるのに。

心配だから言ってるのに。

 

こうなってしまったら、ただの押し付けでしかない。

自分の思い通りにしたいというだけの、優しさに見せかけた我儘だ。

 

 

1番の優しさは、相手の需要に合わせた優しさを渡すことだと思うけど、

いつも完璧に相手のニーズに合わせて思いやるなんて、テレパシーじみた事が出来るわけがない。

どうすれば優しくなれるんだろう。

 

今まで何度か、人から優しいと言われた事がある。

でも自分では、自分が優しいなんて思ったことはない。

相手が何を思っているのか、どんな言葉を聞きたいと思っているのか。

大体の予想がつくだけなんだ。

 

こう言って欲しいんだろうな。

こう動いて欲しいんだろうな。

相手の顔や態度を見ていれば、親しい相手なら大概は分かった。

分かっていて相手に希望に沿わないこともあった。

 

これでも本当にわたしの言動は、優しさなんて呼べるものなのかな。

むしろそれとは正反対の、醜く汚いものなんじゃないかな。

 

どうすれば優しくなれるんだろう。

優しくならなきゃいけないのかな。

22.嘘をつくということ

 

 

人は嘘をつくとき、いくつかの目的を持っていると思う。

誰のために、何のために嘘をつくのか。

 

1つは事実を隠すため。

真実を隠すだけで、嘘をつくというよりは本当のことを伝えないだけ。

1番簡単で、罪悪感が少ない。

 

2つは事実を偽るため。

真実を隠した上で、自分の作り上げた物語を事実のように信じ込ませる。

話しているうちに作り話を本当だと思い込んでしまったりと、1番タチが悪い気がする。

 

3つは上2つの中間。

知っていることを知らないふりをする。

1番中途半端で、政治家がよくやるイメージ。

 

わたしも今まで嘘をついてたし、いろんな人に嘘をつかれた。

嘘をついてはいけません、なんてよく言われるけど

1番残酷なのは嘘をつくことよりも、バレるような嘘をつくことだとわたしは思う。

バレなければ嘘をつかれた本人にとって、嘘は本当のままなのだから。

 

その嘘が相手を思ってのことだったとしたら、なおのこと酷いと思う。

嘘をつかないといけない相手だと、認識されていることを痛感するから。

それが信頼されていないからなのか、己の弱さを知られているからなのか、ケースバイケースだろうけど。

 

嘘をつかせるような自分が悪いんだけど、

大切な人を嘘つきにしてしまうのはやっぱり嫌だなぁ、と思う。

 

正直に生きるのは難しい。

傷つけたくないと思う大切な人だから、余計に。