独りシェアルーム

きっとあなたの蜜になる

9.ツナグ

 

 

この映画を見たのは2回目だったと思う。

いつだったかは覚えてなかったけど、見たことがあるような気がした。

「死んでしまった人ともう一度だけ会える」

というテーマが棘のように心に刺さって抜けなかった。

 

 生き返って欲しいと願うわけではなく、

死んだという事実は受け入れながら、

それでももう一度会いたいと願う。

なんて醜くて愚かで、

儚い願いだろう。

 

 もし本当に「ツナグ」が居たなら。

「ツナグ」に頼めばまた会える、

という事実自体を受け入れるのが困難だろうと思う。

もう何処を探しても会えない。

何時まで待っても会えない。

どれだけ謝っても会えない。

どんなに後悔しても会えない。

何故なら、死んでしまっているから。

死んでしまっているから、「ツナグ」に頼めば会える。

会えないことを受け入れるのと、死んでいるのを受け入れるのとでは、

どちらの方が容易なんだろう。

 

受け入れがたい事実というのは、
簡単には受け入れないように出来ているものらしい。
便利で、都合が良くて、歪な防衛機制
本当に護っているのか、却って傷付けているのか。

 

 ここまでは、あくまで自分が生きている側だったらと考えた話。

ここからは、自分が死んだ後の話。

 

自殺した後の世界を見て見たい、と昔呟いたことがある。

その感覚に近いのかもしれない。

もう一度だけでいいから会いたい、と願ってくれる人が誰かいるだろうか。

自分が誰かの中の1番になれることなんてこの先あるのだろうか。

 

正直、まあないだろうなというのが本音だった。

まず家族を思いついたが、母親の1番は父親だろうし父親の1番は母親だ。

兄に至ってはランキングのトップ10にすら入っていない自信がある。

 

なら友達は?

仲のいい人は何人かいるが、親友とまで呼べる相手はほぼいない。

ほぼいない親友にも、恋人がいたり憧れの存在がいたりする。当たり前といえば当たり前だ。

こんな自分と仲良くできる人が、人に好かれない訳も人を好かない訳もない。

 

かくいう自分にとっての1番は誰なんだろう。

いろんな人を思い浮かべてみたけれど、しっくりこない。

現時点で合点がいったのは、

自分自身というなんとも滑稽なものだった。

 

生きている間に、死んだ自分に会いにいきたい。

多分これが答えなんだと思う。

 

なんて滑稽な人生だ。