独りシェアルーム

きっとあなたの蜜になる

11.親不孝者

 

 

1歳の誕生日を迎えるよりも前、川崎病という血管が炎症を起こす病気になった。

現在も原因不明、かつ完治という終わりを告げる言葉が使えない病。

命に関わる後遺症が残ることも多く、心疾患を患うことがしばしばあるそうだ。

 

年に数回の定期検診、10代になってからも節目ごとに受診するエコー検査。

中高の健康診断では必ず後日、別室に通された。

幸いにも日常生活に影響を及ぼすような大きな後遺症はなく、運動も人並みには出来る肉体を保てた。

迅速な両親の判断と、主治医の治療が功を奏したのだろう。

 

これとは関係なく、小さい頃は驚く程身体が弱かった。

気管支喘息で入院もしたし、その後何度も発作を起こした。

食物も生き物も多くのアレルギーやアトピーを持ち、蕁麻疹や発熱は当たり前。

正直、お金も手も時間もかかる子供だったと自分でも思う。

 

小学校に入学してからは病弱体質も随分マシになった。

体育の授業も基本的に全て参加できたし、喘息の発作も回数が随分減った。

両親もそんなわたしの姿を見て、安心していたように思う。

その代わりに、肉体ではなく精神面で虚弱になり始めた。

 

そんな時小学校3年生で引越しをして、転校先の学校でいじめられた。

今思えば過食と言える程の量を食い尽くし、数ヶ月で体重は15kg近く増えた。

身嗜みに執着がなくなり、必要最低限以外は外出しなくなった。

自覚はなかったけれど、一切笑わなくなっていたらしい。

 

中高一貫の学校を受験して入学してからも、交友関係や恋愛絡みで色んな人とぶつかった。

ここには書きにくいような罵倒も受けたし、自分でも理解できないような行動をとったりもした。

 

例えば高校2〜3年にかけての約1年間。

何故か食欲が一切湧かなくなって、1日中何も口にしなくても生活出来る時期があった。

水分すら口にするのが億劫になっていった。

気付けば体重は1年も経たずに20kg以上減り、BMIは15台まで落ちていた。

髪の毛は抜け落ちたし、触るたびに尾骶骨が削れるようで痛かった。

何枚服を着込んでも寒くて、スキニーパンツを3枚重ね着していたりした。

訳もなくイライラして家のクローゼットを蹴って穴を開けたし、気付いたら明け方見知らぬ駅のベンチに座っていたこともあった。

 

ここまで書いてきたこともごく一部で、

もっといろいろな迷惑を両親にはかけてきた。

様々な意味で、何度も生死の境を彷徨った。

それでも両親はわたしのことを見捨てなかったし、なんとか支えようとしてくれてきた。

もちろんそれは今でも変わらない。

自分でも理解できていない症状を受け入れてくれる、心の広い両親だと感謝している。

 

それでも。

わたしは両親の言いなりにはなりたくないと望んでしまう。

わたしのことをどれだけ考えていてくれるとは言っても、両親はわたしじゃない。

わたしの価値観はわたしだけのものだ。

歩んできた人生も、出会ってきた人々も違う。

何が正しくて何が間違いかは、わたしの人生において決められるのはわたししかいない。

 

以前も書いたような気がするけど、

どんなに両親がわたしのことを想ってくれていても、わたしが自殺しない限りは親の方が先に死ぬ。

そうなった時、わたしはわたしの人生をどう生きればいいのか解らなくなってしまう。

助言がなければ、指南がなければ自分の人生を歩めないような人間にはなりたくない。

自分の人生の責任くらい、自分で取れなくてどうするの?

 

親を蔑ろにするわけじゃない。

苦言や助言は受け入れる。

受け入れた上でどうするかは自分で決める。

親不孝だと言われても仕方がないかもしれない。

 

それでも、いつまでも箱に入ってちゃだめなんだ。

そう、わたしは思う。