独りシェアルーム

きっとあなたの蜜になる

43.

 

どうして死にたいと思うのか考えてみた。

 

 

黒くて重たくてとてつもなく大きな

得体の知れない怖さや不安や絶望感に支配される日がものすごく増えた。

そういう日は大抵朝から晩まで寝れなくて

朝から晩まで何も出来ない。

 

こんな風に文章を書ける日は、

文章におこしてみようと思える日は、

1週間に1日あるかないかくらい。

だからTwitterやメールの通知も溜まる一方だし

いつの間にかLINEの未読数は6000を超えてた。

壁に文字をぶつけるのとは違って

1対1のメッセージに返事をするのは勇気がいる。

 

さすがに壁にぶつけた言葉でも

酷すぎると思ったものだけ非公開にして

このブログ自体は公開し直すことにした。

いつか誰かの蜜になればいいなと願って。

 

 

今までなんとなく

死にたいというよりは消えてしまいたいだけで

生まれてこなかった事にはできないから、代わりに死んでしまいたいのだと思っていた。

 

納得のいくようないかないような、ハズレじゃないけど当たりじゃないような、

痒いところに手が届かないようなもどかしさを抱えているのはわかっていた。

 

 

わたしの母親や父親、兄や祖父母たちなどの身近な親戚たちは、みんなとても生きているのがとても楽しそうな人種だった。

本当に日本は自殺大国なのかなって疑うほど、きらきらして眩しくて、楽しそうに生きてるように見えた。

長生きしたいなぁ、いい人生にしたいなぁ、幸せ者だなぁと心の底から笑いながら呟く人たちだった。

 

死にたいと思う理由について膝を付き合わせて考えて欲しいと思えるような

相手はそこにはいなかった。

 

高校時代の親友や先輩、友人も頭にはちらついた。

力になるからと声をかけてくれた人たちも確かにいた。

でもそんな話題について話したいと思える人たちではなかった。

 

 

結局は血の繋がりもなく学生という立場でもない人に意見を聞いてみる事にして、ひとつ結論に近い何かが見えた気がした。

その人は専門家でもなければ仕事としてわたしと関わる人ではなかったから、かえってよかったのかもしれない。

 

 

わたしは自分を必要としてくれる第三者がいて初めて、自分の命に価値を見出せるのだと思った。

自分のために自分を生きるという考え方ができない。

恋人を作るとロクなことがなかったのに、それでも恋人を作るのも多分そのせい。

 

自分のことを認めて好いてくれる恋人という存在がいれば、その人の要求や要望に応え続けるという生き方を選ぶ事が出来る。

自分の価値を見出してくれる他者がいる方が、とても楽に生きられる。

他者に尽くしている間は、本当は自分が何をしたいのか考えなくて済む。

そうすればそうするほど相手も自分も満たされて、幸せであるように錯覚する。

 

だからきっと

わたしには好意がなくたって、わたしに好意がある人となら恋人になれたんだろうなと思う。

相手がわたしに好意を与えてくれる事で、わたしは楽に生きられた。それを恋だと錯覚して、楽しいと思い込んで、死にたいと思う気持ちを抑え込んでた。

別れ難かったのは恋人のパーソナリティを見ていたからではなくて

「恋人」という存在自体に生きる理由を帰属させていたからなのかなと。

 

 

きっと誰でも良かったんだ、自分なんかを好いてくれる相手なら。

好意を寄せてくれるなら。

性格も外見も趣味趣向も、きっと二の次三の次だったんだ。

 

 

なんて残酷な生き方を選んできたんだろう。

 

 

今抱えてる生き辛さは

底の見えない死にたいという気持ちは

錯覚を体験する事で覚えてしまった、麻薬の中毒症状のようなものなのかもしれない。

 

 

また次の「恋人」を見つけるのが先か

底の見えない穴に落ちていくのが先か

どちらでもいいような気もした。